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京都観光 霊山護国神社

こんにちは〜岡崎です。

先週末、京都の霊山護国神社に行って来ました。

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明治以降の日清戦争日露戦争、太平洋戦争などの戦死者を合わせ約73、000柱が祭神として祀られている。 

wikipedia参照

 

ここは靖国神社よりも長い歴史を持ちます。日本人として一度は行きたいと思っていました。

 

近くの祇園で抹茶をいただいた後、和の小物店などを散策して帰宅。着物姿の女性と外国人観光客に、36°Cを超える猛暑。特別な日になりました。また観光に行きたいなぁ。和服と抹茶好きの血が騒ぐ〜。

 

岡崎

 

おまけの話…

日本は凡そ2000年という長い歴史のある国ですが、その歴史の中で戦争に負けたのは、ただの一度。あのモンゴル帝国にすら負けなかった。その強さの根源が何なのかはよく分かりません。きっと、精神力にあるのではないでしょうか。私は自分が日本人であることを誇りに思います!…といっても、精神力は情けないほど貧弱なものでありますが。笑

 

愛国者をすぐ「右翼」などという最近の風潮は、どこかおかしい。祖国を愛することと政治的思想を一緒にしないでほしい。

ここに、青山繁晴さんの『ぼくらの祖国』の一節をご紹介しましょう。

ぼくが祖国を知ったのは、大学を卒業して社会人になり、仕事で世界の現場を歩くようになってからだ。
   世界のどこの国の学校でも「祖国」を真っ先に教えることを知った。
   たとえばメキシコで公立の小学校や中学校を訪ねると、ぼくたちと同じように、週間当番がある。そして毎週月曜の朝に、当番が交代する。その交代のとき、メキシコの公立小中学校では、生徒たちが正装し国旗をかかげて校内のグランドを行進しつつ、国歌を高らかに歌う。これが交代式なのだ。子供たちが国旗と国歌にみずから敬意を示す行進が、「今週は自分たちが学校に責任を持つんだ」と自覚するためのセレモニーを兼ねている。
   準備にも練習にも時間がかかるということだった。メキシコ人らしく、髭の剃りあとの濃い先生に聞いてみた。「なぜ、そんな手間暇をかけて、この交代式をやるのですか」。週間当番が毎週、交代するのは当たり前だから、さらりと交代してもおかしくない。
   先生はスペイン語で「ポルケ?」、つまり「え、なんで?」と意外そうに、ぼくの眼を覗き込んで、答えた。「こうやって自然に、誰にも祖国があり、そこに生きて、そこに還るんだと体で教えるのです」

 「では、メキシコの人はみんな右翼か?とんでもない」そう続きます。

 

ある調査によると、日本の若者(15〜24歳)の自殺者数は年々増加し、この20年でトップに。さらに他の先進国は減少傾向なのに対し、日本は増加傾向にあります。これは何を意味しているのでしょうか?

これは、国や家族という「集団の中における個人の居場所」の欠如によるものではないか…というのが私の考えです。最近の日本では、伝統よりも個人の自由を重視した教育ばかりが重要視されているように感じます。その結果、国単位の大きい潜在的意識の一体感のようなものが育たず、地域や家族といった小さな単位だけでそれを形成していかなくてはならなくなった。ところが、その地域という単位や、(核家族化や教育方針の間違いによって)家族の単位でさえも繋がりが薄れてしまっている。こうなると、自分で何か心の拠り所を見つけなければならない。そんなことが簡単にできるほど、人間という生き物は強くない。だからこそ伝統があるのではないか?

 

祖国を愛すること、祖国に誇りを持てるような教育、それが今の日本に欠けている。しかしそれこそが最も重要なピースなのかも知れないな…そんなことを想う今日この頃。