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りんりとどうとく

どうも、岡崎です。
なにかと話題のポケモンGO。それに関連したニュースが増えています。
夢中になるあまり、他人に迷惑をかける事件も多発しているようだ。
そこで今日は、倫理と道徳について考えてみようと思う。

倫理と道徳の違いって何なのだろう。
色々調べてみたところ、どの説明も結構難しい。
そこで実例を取り上げて、できるだけ簡素なものにしてみたい。

ある時、友人がコンビニの傘立てにあった傘を、私物の傘と勝手に交換して持って帰ろうとした。
置いてあった物の方が綺麗だったからだ。
その行為を見た私は「おい。それはダメだ。返してこい」と言った。
すると友人は「何故?なんでダメなの?」と言う。
私「理由なんてあるか。ダメなもんはダメだ。その人がかわいそうだろう。」
友人「そんな教科書に書いてあるような理由じゃ納得できない」


ここで私が言った、「理由なんてあるか。ダメなもんはダメだ」というのが『道徳』で、友人が言った「何故?なんでダメなの?」を考えて善悪の基準にするのが『倫理』である。
簡単に言うと、これが道徳と倫理の違い。
道徳とは、考える余地のない社会規範であり、
倫理とは、考えた後での自己規範である。
倫理学という言葉はあっても、道徳学という言葉はない。
倫理は「何故?なんでダメなの?」という理屈(理性)を取り扱うから学問になる。
道徳は「ダメなもんはダメ」という感覚(感性)に基づく社会の中の暗黙のルールだから、学問にはならない。
色々調べてみたら、どうもそういうことのようだ。

で、日本人は文化的背景から倫理よりも道徳によって秩序を守ってきた民族。
「これをやっては恥ずかしい」「これを人前でしたらいけない」という感覚が当たり前にあった。
個人の「したい」よりも、他者への影響を第一に優先する心があった。
その心を現代人の多くは個人主義教育の中で失ってしまったのかもしれない。
私自身も自分のことを振り返ると、他者への影響をおもんばかることなく個人の「したい」を優先してばかりいた自分を思う。
今でもそれはあるが、少なくとも気をつけるし反省もする。それでも「したい」を優先してしまう弱い自分がいることも確かだ。あとは覚悟の問題なのかもしれない。
他者への影響を優先する心があれば、親は子の前でどう振る舞うべきかを考えて行動するし、電車の中で足が疲れても地べたに座ったりすることは少なくなるだろう。

ある学者さんが、こんなことを書いていた。
唯一神教の倫理は、「私は善だから、あなたは悪」
日本人の倫理は、「私は善も悪もある。あなたにも善も悪もある」
インターネットの書き込みなどを見ていると心ない主張が非常に多いが、
そこに「私は間違ってなどいない。あなたは間違っている」という倫理観があるように見える。

つまり、結局またいつもの保守的な主張に戻るのだけど、
戦後の日本人は良き日本文化を捨てて、個人主義の欧米文化を過大評価して取り入れるようになった。このことが、日本を混沌とした社会にしてしまっているのではないか。
日本の誇りを取り戻そうぜ!って、言いたいことはこれに尽きる。
私は徹底的に日本人らしくいたいと思う。

ところで、先に挙げた例は、私が高校生の時に本当にあった話だ。
そのあと、予想外の反応に驚き困った私は理屈ではなく正直な気持ちを述べた。
「うーん、なんでか俺も分からん。けど、そんなことするやつと一緒に遊びたくないな」
そう伝えると、彼は傘を置きに行った。
彼を動かしたのは理屈ではなく感情だった。